SPECIAL | 特集

2022/08/01

IT批評家・尾原和啓さんに学ぶ、「価値DX」から始まるアフターデジタル時代の顧客接点創出法

「これからは、ユーザー体験の旅路にずっと寄り添う、バリュージャーニーが必要」。

オフラインがデジタルに包含されるという概念「アフターデジタル」の世界において、顧客との接点をどう創出するか?という問いかけに対し、IT批評家の尾原和啓さんは、そう説きます。

2019年に出版された『アフターデジタル オフラインのない時代に生き残る』の共著者としても知られる尾原さん。共著の出版から3年が経った今、同氏の目に、今の日本の「アフターデジタル」化はどのように映っているのでしょうか。また、そもそも日本はDXが進んでいるのでしょうか。そして、顧客接点を多く持つコンタクトセンターが担う役割や進化とは?

より深度を増していくであろうデジタル社会における日本企業の進むべき方向について、尾原さんに伺いました。

IT批評家・藤原投資顧問 書生

尾原和啓氏

1970年生まれ。京都大学大学院工学研究科応用システム科学専攻人工知能論講座修了。マッキンゼー・アンド・カンパニーでキャリアをスタートし、NTTドコモのiモード事業立ち上げ支援、リクルート(2回)、ケイ・ラボラトリー(現:KLab、取締役)、コーポレイトディレクション、サイバード、電子金券開発、オプト、Google、楽天(執行役員)の事業企画、投資、新規事業などに従事。現職は14職目 シンガポール・バリ島をベースに人・事業を紡ぐカタリスト。著書『アフターデジタル』(共著、日経BP)はシリーズ累計20万部を達成。

アフターデジタルの本質は「寄り添い型顧客接点の創出」

「そもそも『アフターデジタル』とは『リアルなユーザー体験は、デジタルに包まれて起こっている』という概念です。つまり24時間365日、30㎝以内にスマホがあり、外を歩くとき、何かを探すとき、何かを買うとき、すべてスマホで行うことがあたりまえとなった今、リアルの接点がオンラインに包まれて消滅していく。そんな新しいビジネスの概念として提唱されたのが、『アフターデジタル』です」

アフターデジタルの概念図

冒頭でそう解説してくれた尾原氏。なお、「アフターデジタル」の大元は、Google Chinaの元CEOの李開復(リ・カイフ)氏が提唱した、OMO(Online Merges with Offline)という概念。オンラインがオフラインを吸収する意味合いの「Merge」という言葉のわかりにくさから、言い換えたのが「アフターデジタル」だといいます。

OMOとよく比較されるマーケティング施策として、オンラインからオフラインへ購買行動を促すO2O (Online to Offline)という手法があります。どのような違いがあるのでしょうか。

「O2Oは、“デジタルはオフラインに対する発注端末に過ぎない”ということです。たとえば、ユーザーが商品を買うときに、デジタルで発注すればリアル店舗で受け取れる、レストランに行くときにデジタルで予約すればリアルのサービスを享受できる、といった具合にオンラインの情報からオフラインの購買へと導く考え方となります」

O2Oでは、商品やサービスといった価値提供は、ユーザーに受け渡された時点でしか設定できませんでしたが、OMOはオンラインとオフラインを一体として捉えているため、ユーザーが商品やサービスを買う前から体験に包まれ、さらに買った後もフォローが続きます

O2OとOMOの違い

単なる発注端末でしかなかったデジタルが、ユーザーにずっと寄り添うものに変化したことで、企業の役割も変わってきたと尾原氏は続けます。

「企業は、商品やサービスそのものよりも体験を提供し続ける必要性が出てきました。ユーザーは何かの価値を追求したくて行動するわけですから、その価値にどういう体験を提供するのか。

旅行なら友だちと一緒に思い出をつくることかもしれないし、食事であれば未知の料理を食べることかもしれない。さまざまな価値を追い求めるジャーニー(旅)に対して、いかに先回りしながらユーザーの体験を増幅させるか。このユーザー体験の旅路にずっと寄り添うことがバリュージャーニーであり、OMOの肝なのです

従来型のマーケティングは、どのようにしてユーザーを購買行動へと落とし込むか、どうやって囲い込むかという狩猟型になりがちです。それが今後は、ユーザーとともに旅する寄り添い型に変わってくるため、体験そのものを設計、構築する必要があるというのです。

さらに尾原氏は、寄り添い型になることで、産業構造も変化するといいます。

「これまでは、ものづくりメーカーがトップで小売店が下請けという構造でしたが、寄り添い型になると、『顧客の状況を精緻かつ詳細に理解・把握できているプレーヤーが強い』という構造になるため、決済プラットフォーマーがトップで、メーカーが下請けになるリスクもあります。これも大きなポイントです」

SPECIAL | 特集

2022/08/01

【倒産の危機にあった老舗旅館を立て直し】「陣屋」女将・宮﨑知子さんに学ぶ DXとITで支えるデジタル時代のおもてなし術とは

DXの3つの概念と、日本で推進が遅れる「価値DX」

ここまでOMO=「アフターデジタル」の基本的な概念について説明してきましたが、尾原氏の感覚では、DX全体の中で「アフターデジタル」という考え方が占める割合は、ほんの少しだといいます。

そこで改めてDX全般論と日本のDXの現状について解説していただきました。

DXは、大きく分けて『業務DX』『事業DX』『価値DX』の3種類に分類できます。これは元スマートニュース執行役員の西口一希さんが提唱した概念ですが、西口さんは、このうち日本では『業務DX』と『事業DX』の2種類しか取り組んでいないケースが多いと指摘しています。

DXのXはトランスフォーメーション=非連続な変容で、本来は毛虫が蝶になるぐらいの変容です。ただ日本の場合、そのほとんどがトランスフォーメーションではなく、デジタルシフトに留まっている状況だと言われています」

たとえば「業務の無理無駄を排除して自動化しましょう」と押印のデジタル化やRPA(ロボティック・プロセス・オートメーション)の導入などが行われますが、これは「業務DX」にあたり、デジタルシフトになります。また「オンラインショップに対応しました」「クラウド化しました」などは「事業DX」にあたりますが、これもやはりデジタルシフトの範疇です。

DXの実現を支える3つの取組み

では本来目指すべきDXの方向性とはどのようなものでしょうか。

「もちろん現状のビジネスをデジタルシフトするだけでも、物理的な制約がなくなったり、事業規模を拡大できたり、何よりも、マーケティングデータを活用し、顧客の属性・行動履歴にあわせた商品・サービスの提案などが可能となるので、ビジネスにおいては有用です。しかしDXの最終目標は、『価値DX』にあります。

『価値DX』とは、デジタル技術を活用し、これまで提供できなかった価値をユーザーに提供すること。 たとえば創業者の方々が本当にやりたかったアイデンティティに近いこと、あるいは未来に実現したかったミッションやビジョンに近いことを、デジタルを使い今まで以上の価値をユーザーに提供する。それが、本当のDXなんです。

ただし、そのためには『業務DX』や『事業DX』を実行し、『価値DX』ができる企業体質となっていることが前提となります」

とはいえDXは計画して起こすものではないと尾原氏は強調します。

インターネットは、基本的に場ができたら、あとは勝手にサービスが生まれていくもの。英語でいう『emergent』であり、これは『創発的に立ち上がる』という意味です

たとえば『iモード』(※1)は、携帯電話の液晶がだんだんときれいになり、月額300円で待ち受け画面や、着信メロディーをダウンロードできるという創発が生まれ、結果的に8,000億円のビジネスになりました。つまりDXというのは、計画していない何かが立ち上がる場所という意義もある。

では『emergent』を起こす場をどう設計できるのか?といったDXの議論が全くないのも日本のもったいないところかなと思います」

※1…「iモード」はNTT ドコモの登録商標です。

では本来目指すべきDXの方向性とはどのようなものでしょうか。

「もちろん現状のビジネスをデジタルシフトするだけでも、物理的な制約がなくなったり、事業規模を拡大できたり、何よりも、マーケティングデータを活用し、顧客の属性・行動履歴にあわせた商品・サービスの提案などが可能となるので、ビジネスにおいては有用です。しかしDXの最終目標は、『価値DX』にあります。

『価値DX』とは、デジタル技術を活用し、これまで提供できなかった価値をユーザーに提供すること。 たとえば創業者の方々が本当にやりたかったアイデンティティに近いこと、あるいは未来に実現したかったミッションやビジョンに近いことを、デジタルを使い今まで以上の価値をユーザーに提供する。それが、本当のDXなんです。

ただし、そのためには『業務DX』や『事業DX』を実行し、『価値DX』ができる企業体質となっていることが前提となります」

とはいえDXは計画して起こすものではないと尾原氏は強調します。

インターネットは、基本的に場ができたら、あとは勝手にサービスが生まれていくもの。英語でいう『emergent』であり、これは『創発的に立ち上がる』という意味です

たとえば『iモード』(※1)は、携帯電話の液晶がだんだんときれいになり、月額300円で待ち受け画面や、着信メロディーをダウンロードできるという創発が生まれ、結果的に8,000億円のビジネスになりました。つまりDXというのは、計画していない何かが立ち上がる場所という意義もある。

では『emergent』を起こす場をどう設計できるのか?といったDXの議論が全くないのも日本のもったいないところかなと思います」

※1…「iモード」はNTT ドコモの登録商標です。

「価値DX」の好事例は、顧客接点に重きをおいた平安保険の“前始末”

DXの最終目標ともいえる『価値DX』。その好事例について尾原氏に尋ねると、中国の『平安(ピンアン)保険』を挙げてくれました。通常の保険商品は、トラブル時にお金が支払われることでユーザーの不安を消すというサービスですが、中国で6,500万人以上もの人が利用しているという『平安保険』のアプローチは少し違うそうです。

「ユーザーに歩数計を提供し、ポイントを貯めてもらうようにしているのです。そして貯まったポイントは、サービスや景品と交換できます。ユーザーはポイントが欲しいのでたくさん歩く。その結果、健康になるので、保険会社としては支払う保険料が減るという仕組みです。

さらに、ポイントを獲得するには1日1回専用アプリを開かないといけません。アプリには健康情報のさまざまなコンテンツがあり、ユーザーが自然と健康に関する情報に触れるように設計されているのです」

また、医師不足といわれている中国では、診察を受けるだけでも一苦労。しかし、「平安保険」では3,000人もの専用の医師を雇っており、ユーザーはポイントを使ってチャット上で24時間いつでも医師の問診を受けることが可能だそうです。

問診の結果「問題なし」となれば医療費を削減できますし、仮に病院へ行く必要があった場合でも、ドクターの予約から会計までのすべてを、アプリ上で完結できる点に、尾原氏は注目しています。

「この間、混み合う病院で診察の順番待ちや、財布を開く必要さえなく、ユーザーの行動は非常になめらか。バリュージャーニーに対して、アプリが体験を提供してくれるという意味では『価値DX』を体現しています

保険会社の本来のミッションは、人生における不安を無くすこと。従来であれば、事故が起こった後にお金を支払います。しかし「平安保険」では、保険金でトラブルの後始末をする事態を減らすために、健康でいたいという顧客の願いに対し、事前の予防策を提供することで前始末をしているのです」

「アフターデジタル」の世界では、バリュージャーニーに寄り添いながら顧客接点を持つ必要があると尾原氏は言います。

「これまでの接点は、ユーザー側が企業に合わせるものが多く、たとえば『コールセンターに何時から何時にお電話ください』『そのご用件は店舗で聞いてください』、あるいはテレビや動画を見ているときにCMが流れるなど、ユーザーのやりたいことを一時中断させる必要がありました。

一方、バリュージャーニーをベースにすると、中断させることはありません。先ほどの『平安保険』の例で言えば、歩数計が毎日の顧客接点になります。つまりユーザーが楽しく歩いた結果、『今日は何ポイントもらえるんだろう』と1日の終わりにアプリを開く。その行為だけで顧客接点が生まれるわけです」

こうした顧客接点のつくり方は「オケージョン(場面)ベース」と呼ばれています。「平安保険」のケースでは、「楽しく健康になりたい」というユーザーのバリュージャーニーに基づいて「たくさん歩くと健康になってポイントがもらえてオトクですよ」という旅路を用意しているのです。

「『1日歩いて、そろそろゆっくりしたい時間ですよね』というオケージョンがきたときに、アプリを開けばポイントがもらえるし、何か体調が悪いときにアプリを開くと医師に相談もできる。

このようにユーザーに強制するのではなく、ユーザーのしたいことに沿って先回りするのがオケージョンベースの顧客接点の考え方です

コンタクトセンターは「ユーザーに寄り添うコンシェルジュ型」へ進化

では、すでに多くの顧客接点を持つコンタクトセンターを、『オケージョンベース』へと移行するには、どうすればよいのでしょうか。

「コンタクトセンターの役割というと、多くの方が2種類をイメージされるのではないでしょうか。ひとつはユーザーがサービスなどを利用するうえで疑問などが生じて『これ、どうすればいいんですか!?』となった際の避難所としての『インバウンドコンタクトセンター』。もうひとつは、『〇〇はいかがですか?』というように、商品やサービスを勧める『アウトバウンドコンタクトセンター』です。

それらを『オケージョンベース』で考えていくと、コンタクトセンターというのは、ユーザーが、何かしたいときに、そっと横にいて察してあげられる存在になるのが理想的だと思います。

たとえば『疲れているから休みたい』といったら『リラックスしたい場所やマッサージに行きたいという状況ですね?』と、ユーザーのオケージョンに寄り添い、したいことを先回りして、『このようなことをしてみてはいかがですか?』と情報を提供する。いわばコンシェルジュ型に変わっていくわけです。

するとユーザーは『そっか、リラックスしたいと思っていたけれど、いっそストレッチをしたほうが疲れがとれるかな』とストレッチができる場所を探し始める。そこで『ストレッチでお迷いでしたらコンタクトセンターからご説明しましょうか』とポップアップが表示されて、『この動画を見ると30秒でストレッチのよさがわかります』『しかも動画を見終わったら、ポイントがついてクーポンも差し上げます』と。

コンタクトセンターの方々がコンシェルジュになるのが、『アフターデジタル』世界のコンタクトセンターの在り方ではないでしょうか」

コンシェルジュ型コンタクトセンター〈オケージョン(場面)ベースで顧客接点を創出〉

平安保険も、ユーザーが病気やケガをする場面まで無くすことはできませんが、病気やケガを防ぐサポートはしてくれます。ユーザーが望むことの半歩先をそっと提案してくれるという考え方は、平安保険もコンタクトセンターも同じだと尾原さんは語ります。

「コンタクトセンターも、今までは、問合せが必要な状況になるまでユーザーに任せていましたが、今後は、そもそもユーザーが悩んだりしなくていい状況になるよう、そっと手を差し伸べてあげる。『今、こういうことをされるといいですよね』と後始末から前始末に、ユーザーの冒険に寄り添う場所へと変わっていく必要がある。

そのときにコンタクトセンターがAIやコンテンツとコラボレーションしながら、本当に人でしかできないところをやっていくことが大切になってくるのだと思います」

AIにはできない、人にしかできない、人の強みとは何でしょうか。

「李開復氏は著書『AI Superpowers』で、AIに置き換えることができない人の強みは『compassion』と言っています。『compassion』は日本語では“共感”と訳されますが、正確にはpassionに寄り沿って歩いてあげるという意味

passionの原義は、十字架に召されるキリストが、この世界を愛で包むために自分を傷つけながら歩いていくことです。つまり変化の時代の中で新しいことをやろうとすると、周りからは『そんなことをやってどうするの』と言われて傷つくことがある。それでも歩いていくけれど、一人で歩くのは辛い。だとしたら誰かが一緒に歩く。

それが『compassion』なんです。AIにできない人間の強みであり、日本人とすごく相性のいいものだと李開復氏は主張しています」

この「compassion」を達成するために大切なこととは?最後に問いかけてみました。

「『次はこれをやったほうがいいよ』など『compassion』がいらないQ&A的なものは、AIにすべて置き換えられますが、ユーザーが新しいことにチャレンジしようとしていたり、失敗の中で動けずにたたずんでいるようなときは、人の出番です。

たとえば、新記録に挑戦しようとしている陸上選手がいるとして、その選手に必要な練習であったり、栄養管理などはAIでもできるかもしれません。しかし、記録が伸びない選手に寄り添って、折れかけた心をケアしながら、挑戦を続けさせるには、人であるトレーナーの力がで必要で、これはやはりAIに置き換えられないわけです。つまり大切なのは、AIと人の役割分担です。AIはその人の状況を判断して、こうするといいよと薦めますが、最後まで人に寄り添って一緒に歩いていくのは、人であらねばならないということです」

WRITTEN BY 池田純子 / PHOTO_BY 竹井俊晴