SPECIAL | 特集

2022/10/13

書道家・武田双雲さんに学ぶ、「感謝」の効能と誰もが生きやすい社会の創り方

障がい者雇用における本質的な企業課題である「障がい者が社会で活躍し、自立できる環境をいかに提供するか」。

私たちは、この課題とどう向き合っていくべきなのでしょうか。
そのヒントを得るため、ADHD(注意欠如・多動性障害)の当事者として精力的に情報発信を行っている、書道家の武田双雲さんにインタビュー。

武田さんが語る「障がいとの向き合い方」「人・社会との関わり方」の中に、誰もが生きやすい社会を創るためのヒントを探ります。

書道家・現代アーティスト

武田双雲

1975年生まれ。熊本県出身。東京理科大学理工学部卒業。3歳より書家である母・武田双葉に師事し、書の道を歩む。大学卒業後、一般企業に入社。約3年間の勤務を経て、書道家として独立。音楽家や彫刻家など、さまざまなアーティストとのコラボレーションや、個展、独自の創作活動で注目を集める。NHK大河ドラマ「天地人」の題字や、スーパーコンピュータ「京」のロゴなどを提供。著書はベストセラー「ポジティブの教科書」(主婦の友社)をはじめ60冊にのぼる。最新刊は岩波明氏との共著「ADHDを『才能』に換える生き方』(ビジネス社)。

テストでの100点をきっかけに知った、自分=ADHDであるということ

武田双雲さんが、自分がADHDであるということを知ったのは2016年、40歳のとき。

古今東西の偉人たちがADHDだったのではないかという記事にたまたま出合い、インターネット検索で出てきたADHDのセルフチェックに軽い気持ちでトライしたところ、驚きの結果が出たのです。

「ほぼ100点だったんです。テストで100点なんて取ったことがないから『やった! 100点だ!』くらいの気持ちで自分のブログに投稿したら、『武田双雲、ADHDを告白!』みたいな見出しで某Webニュースに載ってしまい。“告白”とかそういう重い話に受け止められたことに驚きました。

そのニュースをきっかけに、「ADHDを知ろう」という啓蒙キャンペーンのお仕事をいただくようになり。そこから約1年間、精神科医・医学博士の岩波明先生と、(ADHDを自認している)勝間和代さんと3人で、講演会に登壇したりしました」

ADHDの主な特性は「不注意」と「多動性・衝動性」。武田さんの行動にも、この特性が顕著に現れているといいます。

財布を取りに戻ったら携帯を置き忘れてしまい、再度戻ったら別のことに気を取られて両方忘れてきてしまう。お子さんの塾が終わるのをカフェで1時間待つ間、駐車場に停めていた愛車の窓を開けっ放し、財布を置きっぱなし、エンジンもつけっぱなしにしてしまう。涙を流すほど嬉しかった贈り物を、電車の中に置き忘れてしまうーー。

自分の行動が、自分の想像を超えてくるんです。何度も注意され、その度に反省しても、またズボンのチャックは開いている(笑)。『それ取って』と言われて“それ”を取ろうとして、自分と“それ”の間に置いてあったコップを倒して飲み物をこぼしてしまう。

目的しか見えなくなって、プロセスが我慢できない、究極のせっかちといえばせっかちです。あと、自分の興味のあることについて話し始めると、喋り続けしまうのもADHDの特性かもしれません。

ADHDの人は、“今”に対する反応が強いのだと思います。普通の人以上に、“今”に集中しているので、“今”の僕でいうと『インタビューを受けている』という実態のない何かに、すごくエネルギーが出ている状態。その分、先のことが何も見えないんです」

書道家として大成功したものの、日常的にはADHDの特性に悩まされることが多く、「もっと早く、できれば子どもの頃に自分がADHDだと知りたかったです」と武田さんは言います。

「今までは自分を責めていましたが、ADHDと自覚してからは、『自分のせいではなかったんだ! ADHDのせいだったんだ!』と思えるようになって、ものすごく気持ちが楽になりました。僕の取扱説明書が手に入ったことで、以前よりも物事がスムーズに進むようになったと思います」

PROJECT | 取組み

2022/09/26

【真のダイバーシティ&インクルージョンとは】尊厳をもって生きる社会を創る障がい者雇用~東京しごと財団×KDDIエボルバ〜

いつも独りだった学生時代、怒られてばかりだった社会人時代

武田さんは、熊本県熊本市に、三人兄弟の長子として誕生しました。幼少期は明るく活発な少年でしたが、小学4年生の頃から、先生に怒られることが増え始めたといいます。

できる、できないの次元ではなくて、みんなが何をやっているか、どこにいるかがわからないんです。みんなについていけないから、気づいたら周りに誰もいない。今もそうです。僕が何かに夢中になっている間に、まるで自分だけ空間のねじれ位置に入り込んだみたいに、みんなが消えるんです。

中学時代の野球部では、試合中に『雲が綺麗だなー』と空を見上げていたら、ボールが飛んできたのに気づかずエラーをして怒られました。その後、レギュラーから外され、友達からも無視されて……。もちろん反省はします。ですが、反省も3秒くらいしかもたないんです。だからまた同じことをして、怒られて、自分を責める。この繰り返しでした」

中学・高校時代は、少しワルい生徒が幅を利かせていた時代。普通の学生だった武田さんは、1人、自分の世界に閉じこもります。

「中学・高校時代は辛かったですね。孤独でした。何もない世界に自分だけがポツンとひとりいる感覚。その中で量子力学や宇宙のことばかりを考えて過ごしていました。でも、あの時代の孤独のおかげで、物理学オタクになって、僕は宇宙の世界に行けたんです」

学業は、できることとできないことにむらがあり、得意科目は数学で、苦手科目は国語と美術。

「数学は、学年で1位を取ったこともあります。もしかしたら東京理科大に行けるんじゃないか、となりました(笑)」

その予想通り、武田さんは東京理科大学に進学。友だちもできて楽しく大学生活を過ごしていましたが、4年のときに、またしても自分だけが取り残されていたことに突然気がつき、衝撃を受けます。

「みんなで遊んでいるときに、『大智(武田さんの本名)って就活してないように見えるけど』と言われ、『え? 就活って何?』って。みんながいろいろ頑張って、就職活動をしていたことを、全然知らなかったんです。僕、バイトも全部クビになっていたので、ものすごく暇だったんですよ。それなのに友達が何をやってるかわからない。そもそも“就職活動”という概念を知らなかったんです。みんなから『どうするつもり?』って聞かれても、将来のことなんて、全く考えられませんでした」

これは、“今”に集中してしまうADHDの特性が、顕著に現れた出来事といえます。

その後、親切な友人が、武田さんが学ぶ大学の研究室の教授に相談すると、教授がとある企業に推薦してくれて、1回の面接で就職が決定します。配属された先は、営業職でした。

「たくさん怒られました。よく上司から言われたのは『人の話を聞け』でしたね。

ある会議で新人にもかかわらず、挙手をして『すみません。この会議に何の意味があるんですか!』って発言したときは、ものすごく怒られました(笑)。『無駄じゃないですか?』って、某実業家みたいなことを言ってしまったんです(笑)」

「空気を読めない」「忖度しない」武田さんは、入社から3年で退職し、書道家の道を歩き始めます。すると、会社では不適応とみなされた特性が、アーティストとしての活動ではすべてプラスに転化したそうです。今だけに集中する力も、衝動性も、お手本をなぞれない独創性も。

「学生の頃、美術の先生に『お前は絵が下手だ』と言われ、国語の先生には『文章が支離滅裂だから理系に行け』と言われました。僕自身、今でも絵や文章は苦手と感じていますが、60冊の著書を出して、作品はアートとして予想を超える売上です。ダメと言われていた分野で天才と言われているのが不思議なんですよね」

今回の取材のために、武田さんが特別に書いてくれた書。選んだのは「すごくいいふつうを、つくる。」にちなみ、「創」という文字。

既存の書道界では、旧来のルールを踏襲することができない「異端児」の武田さんを疎ましがる人もいたそうです。それでも武田さんは「革命児」として書の枠組みを広げ、誰もがその名と作品を知る存在になりました。

武田流生き方の極意「機嫌よく日常を過ごせば幸せになれる」

武田さんは岩波先生と話し合い、ADHDの気質は強く持っているものの、アーティストであること、生活面は奥様の、仕事面は秘書のサポートがあることなどを踏まえて、投薬治療を行わない選択をしました。

「ADHDの人は、シンプルでピュアだから、メリット・デメリットの計算ができないし、人の言葉の裏を読めない。周りに怒られて、自信を失い、自己否定をしてきたので、心に傷を抱えた人が多いです。だからADHDは鬱病を併発しやすいと言われているのです」

幸いなことに武田さんには鬱病の傾向はありませんでした。それはご両親が、武田さんを常に「天才!」「すごか〜」と全肯定してくれたおかげだと振り返ります。

「両親は僕のことを『生まれたときから光っとったもん!』と言っていました(笑)。診断は受けていませんが、両親もおそらくADHDなので、“今”しか見ていないんだと思います。だからか、ADHDが苦手とする“未来言葉”を使ったことがありません。将来や明日のことについて、一度も聞かれたことがないんです」

子育てに関する著書も多い武田さんは、世のお父さんお母さんの悩み相談にもたくさん乗ってきました。そこで寄せられる悩みの多くは、お子さんの将来や未来に関する不安だそうです。

「親が子どもの未来のことを考えて子育てしていることにびっくりしました。みんなにとって、今よりも未来の方が上なんですよね。いい大学に入るために今、勉強しなきゃとか、痩せるためにダイエットをしないと、とか。

未来というよくわからない理想のために今を犠牲にしていたら、それは悩みますよね

武田さんのご両親が言った「生まれたときから光っとった」という言葉。今この瞬間に光っていれば、未来も自ずと光り続けるという仮説を、武田さんは証明し、子育てにも実践し続けています。

「両親は、褒める時に条件を出しませんでした。成績が良かったとか、頑張ったときだけ褒める親の話をよく聞きますか、結果だけを褒めるのは危険だと思います。

頑張れば褒められる、成績が上がれば褒められる。つまり、成績が上がらないと褒められない。ということは、子どもは通常モードじゃ褒められないと感じてしまいます。ありのままの自分でも愛されるという感覚が自己肯定感を育てると思うのですが、これでは、褒めることが逆に自己肯定感を下げてしまうように思います。

僕は、成績を比べられたこともないですし、何をしても『天才だ!』とリアクションされてきました。だから僕も自分の子どもに『天才だ!』というリアクションだけしていたら、ベストファーザー賞をいただきました(笑)。でも、僕が表に出ているだけで、実際は妻が受賞したと思っています」

武田さんの奥様は、結婚して10年以上経ったときに、夫からADHDだと告げられました。

「妻は気づいていたけれど、言わなかっただけのようです。結婚直後に、ADHDに関する分厚い本を購入していたようなので。

結婚当初の頃は、妻は相当イライラしていたと思います。例えば『スーパーでゴミ袋を1個買ってきて』と妻から頼まれて、僕が『行ってきます』と出ていったにもかかわらず、何も買ってこない、なんてのはよくあります。最初はびっくりしました。お互いに。僕は「なんで怒ってるの?」、妻は「何故、怒られている理由がわからないの?」というひどい状態。

でも、僕の取扱説明書がわかってからは、もう家事はしなくていいと言われました。僕が家事をやっても乱すだけなので。諦めですね(笑)。僕が何かを脱ぎっぱなしにしても、忘れ物をしても、少しずつ怒らなくなりました。行動パターンがわかってきたので、予測しているのだと思います。

ADHDやアスペルガー症候群(自閉スペクトラム症)の子どもをもつ、ご自身はそうではないご両親、特にお母さんは、ものすごく辛いと思います。本当に深い問題です。真面目なお母さんたちの苦しみをたくさん聞いてきたので、お母さんを楽にしてあげたいと思っています」

武田さんが人に何かを伝える際、常に心がけていることは「機嫌がいいという状況以外は選択しない」こと。実際に、このインタビュー中も武田さんはずっと楽しそうに、ご自身の体験やそこから導いた発見を語ってくれました。これまでに何十回、何百回と聞かれたはずの質問に対し、常に新鮮な熱量で応えてくれるので、終始、和やかかつ笑顔に溢れたインタビューになりました。

「気分がいいということは、すごく大事なことなんです。この宇宙は、心や気分、感情でできているというのが僕の結論。日常的な行為をどれだけ機嫌よくできるかというゲームなんです。

『何をすれば幸せになれるか』ではなく、『機嫌よく日常を過ごせば幸せになれる』と考えて実践する。順番を入れ替えるだけなんです」

未来のために今を犠牲にするのではなく、今この瞬間を100%味わい尽くす。ADHDの特性とも言える生き方に、誰もが生きやすい社会づくりのヒントがあるようです。

お互いのことを「知り」、常に「感謝」すれば、みんなが幸せになれる

武田さんはご自身のYouTubeチャンネル「Souun Takeda【武田双雲】 https://www.youtube.com/user/souuntakeda 」で、「これからはADHDの時代です」と、ポジティブなメッセージを放ち続けています。

「本当に『ありがとうございます!』って感じです(笑)。平成の頃は『デザインの時代が来る』と言われていました。令和ではそのデザインがコモディティ化されて、商品もみんな同じになりました。さらに、AIがディープラーニングをするなら、デザインの分野でも、もう人間はいらないよねと。

そこで、じゃあ人間だけができることって何だろうと、いうことになったんです。その解は、クリエイティビティです。0→1の創造性。0→1って簡単に言うと、“いらんことをするヤツ”のことだと思うんです。『え? なんでそんなことしてるの?』とか、誰も思いつかなかったこと、理解できないことをやるのがクリエイター。それって、ADHDが得意なんですよ。

突発性を持ったADHDはそういう意味ですごくクリエイター向きだと思います。新しいビジネスを生み出している方とか、皆さんADHDなんじゃないかと。だって、そうでないと、あんなにすごいことはできませんよ(笑)。ADHDだけでなく、長時間同じ作業を続けられるアスペルガー症候群も、ADD(注意欠陥障害)も、同様だと思います。

例えば、算数の文章問題だけとか、漢字の読み書きだけなど、特定分野の学習が苦手ということは、学習障害(LD)の人はどこかがずば抜けてます。それがまだ見つかっていないだけで、絶対に天才だと思います!」

とはいえ、『ADHDなんだから特異な才能があるんでしょ?』という過度な期待を社会が前提としてしまうのは、本人にとってはプレッシャーにしかなりません。

「ADHDは、決して勇気があるわけではありません。僕も、本来は石橋を叩いて渡るタイプですが、石橋と知らずに真ん中まで進んでしまってから、『それ石橋だよ』と言われて『やばい!』ってブルブル震えています」

障がい者と、障がい者と一緒に働く人に必要なのは、「お互いを知ること」だと武田さんは言います。

PROJECT | 取組み

2022/09/26

【対談】『障がいのある人財がやりがいを持って働き、自立して生活を営んでいくことが「ふつう」である社会』を実現するには?

「僕がADHDだと知ってから、妻は怒らなくなりました。知識ってすごく重要だと思います。昔は発達障害=何だかよくわからない人、というレッテルを貼られていましたが、ここ数年でADHDへの理解はだいぶ変わってきたと思います」

武田さんがADHDの当事者として発信し続けたことも影響し、障がい者への理解は少しずつ広まりました。しかし、システム作りはまだまだです。

「社会全体をいきなり変えるのは難しいと思います。でも、個人個人がやれることはあります。それは、いつも行っていることを一つひとつ丁寧に味わうこと。幸せは未来にはありません。今あることをありがたく思うことが大切ではないでしょうか。枕や布団、冷房に感謝したり、食べ物に感謝する。

世の中にある仕事はすべて、もともとは祀りから始まった神事なので、今やっている仕事を神事だと思えるか、今“与えられている”仕事をどれだけ気持ちよく行えるかだと思います」

武田さんは常々、「感謝」の効能を説いています。

「仕事はもちろんプライベートも含めて、今自分の周りにあるものにどれだけ感謝できるか。感謝には副作用も副反応もないし、やりすぎてもいい。見境なしに感謝していると、どんどんポジティブになり、健康になるんです。そうすれば波動が整って、いい縁ができる。

別に転職するとかしないとかではなく、例えばKDDIエボルバさんで日々働いていても、波動が整えば、自分の整った波動に合う上司や新人が現れたり、取引先とつながれたりという縁ができるんです。いい状態の自分であれば、いい状態と縁ができて、悪い状態だと、悪い状態と縁ができる。だからまずは自分の心を日常から整えてくことが大事だと思います」

最後に、ADHDの当事者であり、サラリーマン経験者として、企業に求めるものを聞きました。

「昔は強固な縦割りで、年功序列だった組織のあり方が、今は男女の差も失くなってきて、転職する機会も増え、働き方もだいぶ変わってきました。確実に、障がい者にとってもいい時代になっていると思いますし、誰もが才能や個性を活かせる時代が来ていると思います。

そういった才能を活かす側である企業に対しては、すごく子どもっぽく言うと、『遊ぼうぜ! もっと仕事を楽しもうぜ! 心からみんなでワイワイはしゃごうぜ! 戯れようぜ! ふざけようぜ!』と言いたいですね(笑)。楽しいことがやっぱりすごく重要だと思うんです。もちろん会社という場所では、楽しめない状況があるのもわかりますが、それでも誰もがワクワクを持って、一つひとつの仕事を行える環境創りをしてほしいなと思います

武田さんのアトリエには、たくさんの文字が踊っています。

武田双雲さんのアトリエ。壁の至る所に武田双雲さん自らによる書が書かれている。
アトリエ2階へとつながる階段。コーナー部分と、手前の白い手摺部分にも書が。

そのなかにある一枚の作品に、武田さんの想いを集約した言葉が書かれていました。

イライラしているところに悪い事が集まり
ニコニコしているところに良い事が集まり
クヨクヨしているところにつまらない事が集まり
ワクワクしているところに楽しい事が集まる。

PICK UP!

もっと知りたい!KDDIエボルバのこと